第二話
業火の悪魔は七大獄の一つを司る魔王。
死んだ魂を一万年に渡り焼き尽くす。
焼かれた魂は再生する事も出来ず無に還る。
悪魔は、その翼を黒く染める以前は灼熱の天使であった。
誰よりも神を敬い誰よりも強い正義の心を持って。
大罪者に布教を施していた。
そして、それだけに人を愛する事は出来なかった。
神を敬愛したまま正義の心を闇に染められてしまった。
正義の業火は聖木に宿る。
宿りし炎は浄化し、聖火に。
聖火を紡ぐ悪魔。
光の天使は永久に神を照らすと誓いし大天使。
光は衰えず、全ての闇を屠り去る。
神は常に聖なる域に存在した。
天使は、その翼は?がれていた。
己の黒き翼を憎み、止らない血を流しながら照らしていた。
天使だけが持つ事の許されていた光を悪魔は持っていた。
浄化の光。闇を溶かす光は自らの親をも溶かした。
そして初めての友は天使であった。
そして神は悪魔を認め、自らの傍に置いた。
神を照らす光。生むのは、絶大なる聖と、その影。
神を模した影は悪魔を生んだ。
悪魔を生む天使。
神は対なる人間を生む際に、彼等を模した。
聖火を紡ぐ悪魔と悪魔を生む天使を。
聖帝教聖書第一章 写本(教会検閲済)より引用。
金色の体毛を持つ虎は大地の神。
角の様に長い牙は、大勢の天使から成る侵略軍を噛み殺した。
忍び寄る悪魔の手にも靡かずに人を護り抜いた。
人の世を一度滅ぼした巨龍と対成す伝説。
金虎。その名は脈々と継がれた。
金虎将。帝国陸軍、左将軍の別名。
右将軍は月狼将。如月が就任していた。
そして金虎将は悲しみに身を震わす。
親友の。戦友の。半身の。消失に。
人と群れ成す人虎の名は、弥生。
不退転 弥生。
冠名の虎王は、人虎を統べる者として。
人間を祖父に持つ弥生は純血とは言えないが、それでも。
純血だけを吼える人虎等より、余程。
強く恐ろしかった。
敵から、死神と賞賛を受ける彼が感情を露にしていた。
それだけ如月との絆は深く堅い。
一日続いた雨が晴れた夜。
月は僅かに欠けて、闇を溶かす。
貴方の責だと、弥生は何度も何度も偉大なる母を罵った。
全てを知り、それでも突き放したのだろうと。
端から尊敬という意識を持ち合わせていなかった弥生は、憎悪に染まる。
でも、それだけであった。
夜の眷属として、夜の支配から逃れる術を持ち合わせては居なかった。
数刻前、夕闇が世界に広まった頃。血相を変えた部下が弥生の元に駆けて来た。
聞かされたのは、如月の失踪、恐らくは戦死という事と勝利の報告。
その部下が最後に見たのは、涙。
弥生と如月の仲を知っていた部下は、無言で下がった。
王帝戦役。
絶望的な戦力差を以って挑んだ戦。
誰を恨めば良いのか。
弥生は、それしか出来ない。
友の生に掛けるのは、軍人として迷いを生む切欠にしか成らない。
「必ず、帰って来る」
酒場で交わされた会話。
如月が、最後に弥生に向けて放った言葉。
弥生は笑顔を浮かべていた。
「当然だ」
弥生は、顔も見ず、そう言った。
如月の、表情を知らない。
それが最後だった。
自身の部屋に篭り、感情を沈める。
王国を治める帝王。帝国を治める皇帝。
帝王の配下である禁軍は、斃れている。
ならば手を貸さなかった皇帝の禁軍。
違う。それは逆恨みでしか無い。
ならば誰を。帝王か、皇帝か。
ここで、無論という言葉は出なかった。
父にも等しき皇帝を選択肢から外す事が出来なかった。
それだけ、如月の消失を悲しんでいた。
尋常では無い。将軍が、主を恨む等。
尋常では無い状況だった。
軍人にとって、死は隣り合わせである筈だった。
それなのに。全てを乗り越えてきた筈なのに。
偉大なる母は獣の身体に人の心を与えた。
そうして、尋常では無い状況で尋常では無い心が、答えを導いた。
全員。ここに、自分を含めて。
全員とは、如月を除いて、全員だ。
帝王。皇帝。禁軍。敵兵。部下。自分。
民。敵国。
尋常では無い答えが出た所で、部屋の扉が音を響かせた。
蝶番の響く音。
弥生の世界が、風船の様に膨らみ爆ぜた。
目前の存在に、ただ涙した。
嬉しさから。
やっと、自分の考えが異常だった事に気付く。
それさえも崩れ、訳も解らず身体を竦めたのも、弥生。
「き」
友の、槍。陸軍兵に支給される汎用の槍。
それが見えた事自体に、不思議は無い。
だが。鏃が無かった。切っ先が。
棒だけが、棒だけが視界の中央に立っていた。
横に立つ、という表現も可笑しいが立たせていたのは弥生と如月だった。
両端を支え、全くの不動。
ゴボ。と、吐かれた大量の血。
貫かれていた。肉体が。弥生の。如月に。
血は槍の柄を汚し、床に撒き散る。
「さ」
長い金毛は血が纏わり固まる。
青い血と金の髪は、醜く輝く。
友。出会い頭に、無言で近づき槍を指す者を友と呼ぶのなら。
友は、憂いの顔を浮かべていた。
「ら」
…………
弥生は、息絶える。
四音の名を最後まで口にする事が出来なかった。
それで、良かったのかも知れない。
彼は、弥生の友は、名を捨てた。
月の字を捨てる事で、歴史を。
名を捨てる事で、今を。
一人きりの友を殺す事で、人を。
狼の神と人の血を持つ者は、人を辞めた。
狼鬼。
友の流した血で化粧をし、表情を捨てた狼鬼。
最後に捨てたのは、偉大なる母。