第十一話
大聖堂。
銀の十字架には古代の救世主は磔にされていない。
代わりに、一人の女性。
麗しくも美しい女性を神子の様に祭っていた。
ピアノの音が部屋に響き渡っていた。
拙い弾き手は、宇童。
レクイエムはもう何日も続いている。
止む事の無い輪廻の曲。ゆっくりと静かに音が流れている。
そこで気付く。
聖堂が異常な空気だと言う事に。
美しさを保つ慈雨の屍。
肉が腐る事も内臓から異臭を放つ事も無い。
そして。
無数に転がる死体。
犇き合う屍の数は、百や二百で効くのか。
床という床、椅子という椅子、そして舞台に、死体が横たわっていた。
グスグスと焼け爛れる黒い死体。
帝国。
神と人の子が生きる国。
この、何百という数の屍骸は全て帝国民のものだった。
いや、民と区別される、兵。
灰色の軍服は今でも清潔を保つ様に屍骸に纏われていた。
もう1つ。彼等は全員、ロザリーを持っていた。
それが鬼を倒すと。それが鬼を退くと。
そう考えていた。伝わっていた。誰もが信じて疑わなかった。
だが、効かなかった。銀の銃弾も木の杭も。
肉を抉る事は出来ても命を絶つ事は出来なかった。
そしてこの惨劇。
この地獄に歩み入る者が、一人。
人にして、人で無い者。
獣にして、獣で無い者。彼等を獣人と呼ぶのは、帝国の民だけでは無い。
人に似た虎は煙管を吹かし、紫煙を吐いた。
灰色の軍服は、帝国軍を象徴する。
吉凶を意味する金色の瞳を浮かべる眼は歪に歪む。
目が笑う。目が笑っていないのを本当には笑っていないと詠むのならば、本当は笑いたく仕方が無い。
そう言わんばかりだった。
そして、七日七晩続いた鎮魂歌が止る。
宇童は、自身への戒めとして黒い布で両目を塞いでいた。
苦しみを忘れないように、そのままにしていた。
それでも、誰がこの大聖堂に踏み入ったのか。瞬時に理解する。
この、ザラついた気配。
蛇の様に絡みつき、化物の力強さを持つ。
人虎。
獣人の内、彼を分類した言葉だ。
虎に似た人では無く、人に似た虎。
全身毛むくじゃらは、二足歩行する虎に見えた。
「弥生さん…冥福でも唱えに来たのですか」
意外にも、あまりにも当然と言った風に物腰柔らかく口を開いた。
誰の。無論、慈雨の。
この、たかだか数百の兵はたかだか兵であり、殉死は尊きものと習っていた。
弥生が、そう教えていた。
「嗚呼。花は、御前の首だ」
宇童は感じていた。知っていた。
尋常ならざる殺気を纏っていた事を。
わざわざ監獄から見逃した者が、見逃された者を殺しに来ていた。
背負う大斧は、帝国守護神である虎人部隊の標準装備。
いや、刀身に刻まれる紋様は部隊長の証。材質の異なる専用装備であった。
「そうですか。それは出来ませんので、では、人虎の其に代用させて頂きます」
何を語っても日常会話の様な。
和んだ雰囲気、事務的な会話。細かい所が特に、そういう印象を与えた。
宇童は両手をピアノで組み、大きくなる足音を静に聞いていた。
「一度、破れているんだ。足掻かない方が良いと思うが」
鋼の斧に両手を掛け、跳ぶ。
虎の筋力を用いた跳躍は、低く長い。
皆が起立していれば五百人は納まる聖堂の半分を一気に跳んだ。
斧を抜きながら、着地と同時に振り終える様に大きく振った。
激しい破壊音はピアノから。正しく一刀両断されていた。
口元が歪み牙を剥くのは、人虎。
姿勢良く座り続ける宇童は、それを何の感慨も無さげに見詰める。
「御託は良いですから、どうぞ」
クイクイと、掌をこちらに向けて手首を引く。
挑発。それも、低俗に位置する。
舐めていた。どちらもが。
床に突き刺さった斧を力一杯抜き、その流れに反してもう一度大きく振る。
横に、薙ぐ様に。
その軌跡上には確かに宇童が存在していた。
胴。脇腹。
上下左右前後、どう避けても避けきれる角度から。
「弱くなりましたか」
宇童は避けていない。攻撃を受けた。
けれども『真剣白羽取り』の様に、受け止めてはいない。
ただ、受けた。何もせずに。
何もせずに、その台詞。弥生の斧は宇童を傷つけなかった。
罅割れたのは斧。
「真逆」
光条一閃。宇童の真下から、間欠泉の様に。
黒の椅子が二つに割れて舞う。
座っていた者は、直上に跳んでいた。
前蹴り。
半円を描いた蹴りは、構えも何も無く繰り出されていた。
そして吸血鬼が、空中で消える。
光に溶け込んだ。
それに一瞬遅れて気付く人虎。
構えを直し、静止する。
「闇討ちしか能が無いって事か」
陳腐な挑発はしかし、儀式でしか無い。
戦闘のリズムを調整する為の。
挑発された宇童が、姿を現す。
背後から、無音で迫り一撃。
研ぎ澄まされた爪が、頚動脈を切断する。
血飛沫は、青い。幾らかの屍が染まる。
しかし直ぐに止血される。これが、夜の獣人。
まるで問題無く、反撃の一手。
剛腕の一振りが、防御した腕ごと身体を持っていく。
背後への攻撃の為、一回転。
椅子と椅子に眠る屍を吹き飛ばし、叩き付けられた。
又、霧散。今度は一瞬で再構成された。
位置は、弥生の目前。
闇討ちというよりも、不意打ち。
その中で一撃を防いだのは、賞賛の一言。
二撃目は、回し蹴りはがら空きの胴に入った。
苦痛に苛まされ、身体をくの字に屈す。
激痛は涎を促した。息を詰まらせる。
更に一撃。追撃。
顔面を顎から蹴り上げた。舞い上がる。
そしてドサリと落ちる様は、格闘ゲームのフィニッシュ。
だが、これで終わりには成らない。