第零話
白い壁。永久に広がる世界を有限の世界から遮る壁。
白い天井。清純なる世界を醜き世界から遮る天井。
白い床。邪悪なる存在の跡を許さない床。
白いドア。悪と正とを分け隔てるドア。
白いドアノブ。正なる存在を識別するドアノブ。
白い硝子窓。内外との交信を赦さない監獄の窓。
白いカーテン。檻さえも不浄とする様に窓を視界から遮るカーテン。
白い本棚。何も並べられていない五段の本棚。
白い灯。黒き影を許さない光の灯。
色彩の世界に白いペンキをぶちまけても、こうは成らない。
成れない。元より、色の存在しない世界。
そうとしか思えない世界が、存在した。
客。
己を創造した神さえも聖と認めなかった世界が、客を迎えた。
扉が閉じられて以来、初めての事象であった。
白いベッド。
彼女の為に世界が用意した。
世界の中央に。
白い枕。白い毛布。その中で彼女は昏々と眠る。
白い肌。まるでアルビノの様な。
白い髪。色素を失い輝きだけを放つ様な。
ハープの弦の様に長い髪は四方に伸び途中から白き世界と混合する。
白い唇。肌と同じ白い紅。
幼女の様な美しさと、魔女の様な美しさを醸す雰囲気。
其処には純情も色欲も存在しない。
触れば滑る肌。瑞々しい唇。瞼は円く大きい。
寝息さえも立てないで眠る姿は死体の様。
薄い毛布は彼女の組む手を浮かばせる。
神の御前を思わせるロザリオを握っているかの様な腕組み。
時さえも不変を揺るがすものとして存在しない世界。
一瞬と思える時間は永遠。
永久と感じる時間は夢幻。
彼女が目覚めたのは、白き世界が彼女の目覚めを許したからだ。
彼女の眼には、しかし光も闇さえも無い。
彼女の耳に無音の世界が広がる。
彼女は自ら音を形成する事が出来ない。
彼女の鼻は臭も匂も嗅ぎ別けられない。
彼女は自らの意志で小指の一本も動かす事が出来ない。
瞼を開ける事も毛布を除ける事も。
表情を作る事も感情を現す事も。
だから世界は選んだ。
それでも人の知恵に頼る事無く、自然の中で狼に育てられた彼女を。
自然の摂理に逆らい生まれ自然の中で生きた存在を。
そして、再び異変が起る。
聖なる存在の世界に。
「おはようございます。お姫様」
黒き衣を纏い。
黄色の肌を持ち。黒き眼を持ち。
短い黒き髪を持ち。牛革の腕時計を持ち。
微笑みを浮かべていた。
左手はジーンズパンツのポケットに。
右手は拳銃を掴み撃鉄を起こし彼女の額に押し付けている。
回転式拳銃。平和を造る者という二つ名の拳銃。
「それが、聴です」
彼女の足を掴み、地の底へと引きずり込んだ。
神よりも尊い存在は瞬く間にたかが人に成り下がる。
たかが人の言によって。
彼は彼女に聴覚を与えた。
器官に本来の機能を与える。
「これが、視です」
彼女に光が与えられた。白い世界を白い世界と認めた。
瞳に限り無く白に近い色が与えられる。
そして彼女は彼を見る。
目と目が合う。
邪悪な存在は、何処までも美しかった。
彼の薄紅の唇が歪んだ。
「そして、味」
無造作に彼の左手の中指が彼女の閉じられた唇を抉じ開けた。
白く並びの良い歯という扉も上下に開き、舌に触れる。
乳と肉の違いも分からなかった舌が指の形と苦さを感じた。
「そして、言」
口内の中指は僅かに湿り瑞々しい唇をそのままなぞる。
左端の下唇から右端まで、そして上唇に。
指が、ゆっくりと離れる。
「・・・・ぁ」
喉を鳴らし洩れた音。
しかし、彼女は、これで完全に人と成った。
堕落とは称さない。没落とも。
生誕。異端の存在が群集に混じった。
「あなたは」
戸惑いを隠しきれない彼女。
人は、感情を持つ。
戸惑いは困惑と通じ、困惑は恐怖から生まれる。
「貴方を守護する者であり。貴方の四肢と成る者です」
彼女は、例え五感が生まれたとしても身体の自由は無い。
しかし意志の疎通は出来る様になった。
彼の言葉に感情は無い。しかし、それは冷徹さを装うっているに過ぎない。
彼女を護る為に。
「代行者」
最も彼に適した名。
彼女は、人として生まれていない。それは、全ての鍵を閉める事を条件に、自分の部屋の中に全ての知識を置く事を認められた存在である事を示す。
地上に存在する、存在した、存在しない言語までを知り得ている。
古今未の事象を知り得、獣との通信も可能である。
全ては代償。五感を持たず生まれ自然の中で育った者への。
「はい。お望みとあらば、神さえも御前に片膝を着かせましょう」
銃を額に付け、しかし彼は黒い眼を瞑り忠誠を誓う。
なんとも不可思議な光景。
しかし、それさえ意にしない両者。
「ならば」
彼女は命令を下す。
代行者は命令に従う。
了。